(有)ライトデザイン

 (有)ライトデザイン〜right design〜


筑波サーキットの目の前の小嶋英俊と井形マリのお店です。
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マリの小部屋 ( 二十歳前 )




二十歳前までの お話し



  



 
  [ 2024/11/7 ]

 まだ、アルバムは 全部 見てないので、古い年代のものも 出てくると思うが、これからは '78年と思われる写真。


 

 78年 3月 モーターサイクルショー に行った様だ。  ちょっと 子供っぽさが 消えて来た感じ ・・・  
  無敵艦隊、クリスチャン・レオン  ジャン・クロード・シュマラン の、RCB1000 に、ヨシムラの帽子を被って ? 跨る。

 左は、並列6気筒の、CBX1000。 右の コムスターホイールの白いシートのレーサーは、多分 250ccの
  モトクロッサーのエンジンを乗せた、鈍亀 とか呼ばれていた、RS250 じゃないかな?

 そして、後ろにあるのは、US90 かな? ・・ なぁ〜んて、いちいち 見てしまうから、進まないんだよね〜 ・・




 

 この中で、御存命なのは、神谷さんだけ? ・・・ 右の 島 英彦 (本名 長島 英彦)さんは、堀ひろ子が乗った、
  ロードボンバーの 設計者で、私も本を持っているし、仕事を頼まれて、自宅の工房に行った事もある。


  
  
 






 
 [ 2024/11/3 ]

 がつ

 おぉ〜!  なんと 生意気そうな、不適な表情! ・・
   初めて 筑波サーキットを走るんだから、もう少し 不安げな 表情をしても良さそうなのに ・・

 こういう 表情をするから、可愛くない奴だと 思われるんだよね。
   今の時代なら、塩対応 だのと、きっと 大炎上してしまうよね。

 ただ、マリの場合は、確かに 生意気だけど、普通の生意気とは、ちょっと違うんだよなぁ〜
   視点が違う、と言うか、見てる世界が違うんだよなぁ〜 ・・

 ずっと一緒に居たんだけど、いつも 私の想像を 遥かに超える事を 考えてるんだよね〜
   当然、一人じゃ出来ない事なので、いつも 振り回されてばかりだったんだけど。

 全く、もう ・・  一言で 言うなら、「ミステリアス」 かな? ・・・










 
  [ 2024/11/1 ]

 

 いよいよ、筑波サーキットの ライセンスを取る。 座学の講習が終了し、サーキット体験走行をする、って感じかな?

 降ろしている、この車両は 何だろう? こんなバイク、あったっけ? ・ ・ タンクに TSUKUBSA って 書いてるみたい ・・
  サーキットのバイクかな? ・ ・ でも、それじゃ 何故、自分のトランポに積んでる訳? 奥の車両は、CB125JX。

 この写真、変なんだよね。 リヤタイヤがパンクしてる様に見えるけど、他の写真は そうじゃないので、
  どうも、画像が切れて、ずれてるみたい?  この時代、合成写真って事は 考えられないしね。

 すみません。 ラダーの両側の縁が、やたら分厚くて、それに タイヤが隠れていた様ですね。





 

 筑波サーキット ライセンンス講習会の講師は、神谷さん。  神谷さんは、このCB350で 先導するらしい。
  教え子の、マリを 心配そうに 見守る、の図。  この頃は、体験走行の後、いきなり 模擬レースもやってたらしい。

 










 
 [ 2024/10/29 ]

 

 アルバムに、Motorcycle という 文字が出てきて、恐らく '77年 シーズン終了後、サーキットライセンスを取って、走り出す。





 

 何か、油絵の様な写真だが、恐らく 荒川のテストコースじゃないのかな? CB125JX プロダクション車両で走行。
  着ている 皮ツナギは、多分 角谷さんのものだと思う。


 









 
   [ 2024/10/26 ]

 

 どこか分からないけど、何か ドラマのシーンみたいですね。 ちゃんと ポーズ取ってないし、不思議な感じが、いい味出してる。

 この写真から、歌謡曲の 一曲でも 作れそうな気がしてくる。







 

 これも 自然で いい感じ。  本人は どう思ってるか知らないが、この写真、私にとっては お気に入り。  

 マリは 難解な性格で、物事を 裏から見抜く様な 嫌らしさがあるが、実は とても 人なつっこくて、人が好きなのだ。
  今まで、様々な 理不尽な事も 経験して来ただろうが、結婚してから、誰かの悪口を 聞いた事が無い。
  嫌な事は、その場で ダイレクトに、その人に言うので、後に残さない。  

 私も、ズバズバ 言われ続けて来た。 まあ、自分の事は 棚に上げて、なのだが ・・
  先の事を考え、戦略を立てて、物怖じせず 突き進む。  良く言えば 積極的、悪く言えば 単細胞。 

 怪我で走れなくなり、ライディングスクールと抱き合わせて スポンサーを獲得し、女性ライダーのレーシングチームを立ち上げ、
  妹の 智を 世界GP に送り込み、順調に 女性ライダーの世界を 開拓して行ったのだが、

 一方で、関わった人達を 好きになる、という 性格が災いし、あまりにも チーム員や、スクールのお客さんの事を考え、
  傍から見てても、無理でしょう! と思うほど、体力も 能も 無いのに、一生懸命になって、金も 使い果たして、失速した。

 でも、その気持ちは、多くの人達に 伝わったのだと思う。  そんな 優しい面の性格が現れてる様な気がする写真なのだ。
 











 
   [ 2024/10/22 ]

 

 プライベートでは、バイクが GS400 に変わった様ですね。  憧れの アメリカン グラフィティー の イメージに、近付いたかな?






 

 知ってる人が見れば、どこか すぐに分かるのかも知れないね。  風防に バンパー、懐かしい スタイルですね〜。
  
 この写真 ・・ 何か 絵になるなぁ〜 ・・  いや、どれも 絵になるんだよなぁ〜 ・・ 誰が 撮ってるんだろう?











 
   [ 2024/10/18 ]

   

 YAMAHA TZ500 か TZ750 に乗る、Team KANAYA の 毛利良一選手。 鈴鹿サーキットの Tシャツを着て、FISCO のバックにサインしてもらう。
  そして、御大の 金谷秀夫。  まだ現役で走っていたと思うが、この頃は YAMAHA 最強の サテライトチームの オーナーでもある。
   でも、「金谷」って、呼び捨てにしてる辺りが、世代の違いを感じる。 私には、ちょっと 呼び捨てにして 書けないな ・・・





 

 木山さん、若いですね〜! ・・ と言うか、この 若さのまま 死んでしまったんだよね〜 ・・・

  1977年は、まだ チームの お手伝いで、各サーキットに 行っていた頃 ・・ 本当か? ・・
  手伝い、とか言って、どうせ 足手まといになっていただけで、有名ライダーに サインの おねだりして 回ってただけじゃないか!











 
   [ 2024/10/15 ]

 

 私の 角谷さんの思い出話は 終了したが、本棚を掃除していたら、こんなものが出て来た。  初めて見るアルバムだった。

 スクラップブックに写真を貼った、薄いものだが、個人名でのアルバムは、他に スクールのイントラの、若くして亡くなった、
  「そのぶー」 という人と、2人だけだ。  恐らく、これも 角谷さんが亡くなった時に作ったのだろう。

 角谷さんは 小柄だったので、まだ マリが 皮ツナギを持っていなかった時に、角谷さんから貰って着ていたらしい。
  男には 乱暴だったけど、マリには とても優しかったらしい。  そう、角谷さんは shy なんだと思う。




 

 あらまぁ〜 可愛い〜!  腕を組まれて、照れてる 表情の 角谷さんも いいですね〜。
  本人も お気に入りの写真なのだろう、最後のページに 1枚だけ、大切そうに 貼ってあった。

 前にも、誰かと 腕を組んでた写真があったよな? ・・多分 私は、結婚してから、一度も 腕を組んだ事など 無い様な気がするが?
  まあ、そんな歳でも無かったしね ・・ これからは独身なので、腕を組んでくれる女性、大募集です。 ただし 年齢制限あり。

 私にとって 角谷さんは、一言で言うと 「エキゾチック」 かな? ・・ でも 女性の マリに言わせると、角谷さんは 「セクシー」 らしい。


 









 
   [ 2024/10/11 ]

  角谷さんの最終回

 

 今でも、私が最も 憧れている、前面投影面積を極限まで小さくした、小排気量車の理想の形。 

 排気ポートから出る エキパイは、通常は下向きだが、角谷さんは、これを上向きに出して、ガソリンタンクの下を這わして、
  メガホンの出口を、リヤサスを避ける様に、シート下で外に向けて出す。 勿論、得意の 白の耐熱塗料。

 ステップは、リヤタイヤに当たる程、狭く。 前から見ると、完全な逆三角形のフォルム。 まるで 空中に浮いた 魚の様だ。

 隣の、上田公次さんの前後タイヤノ のボリュームと比べると、角谷さんの前後タイヤの ボリュームに違いがある様に見える。
  角谷さんは、リヤタイヤをフロントに 装着していたかも知れない。 角谷さんは 他の人と全く違う、独特の感覚を持っていたと思う。

 (※その後、先輩からの指摘で、角谷さんのタイヤは、125用より細い、90cc用だったらしい。 更に フロントフォークは、50cc用。
    リヤサスも立てているし、カウルのスクリーンの部分も、潜り込み易い様に、少し上げているらしい ・・確かに ・・)
    

 カウルの、やや白っぽい 独特のオレンジ色は、当時 軽トラックを大量に注文していた、高島屋デパートの特別色の、高島屋オレンジ。
  私にとって、この高島屋オレンジに塗られた、ゼッケン19番の、角谷号が、究極のレーサーなのだ。

 当時、オートバイ部は、ロード も モトクロスも ごちゃ混ぜで、様々なタイプの人が居た。 ライダーとしては 今一でも、メカに強く、
  マシンの速さは ピカ一だったり、皆 思い思いに オートバイを作って 楽しんでいた。

 その中の頂点に居た 角谷さんだが、遅い人を 見下す様な事は 全く無かった。 短気で、真っ赤になって怒るので、
  タコ と呼ばれていたが、言葉は荒いけど、怖いと思った事は無い。 

 誰かは忘れたが、モトクロスの先輩で、いつもエンジンの調子が悪く、普通に回らず、バンバン 大きな音を出していた人が居た。
  あだ名を付けるのが好きな角谷さんは、いつも バンバンやってるので、その人に 「鉄砲撃ち」 という、あだ名を付けて、

 練習に行こうと、積み込もうとしていた、その人に、「おい!鉄砲撃ち、又 山に鉄砲撃ちに行くんか? たまには何か採って来い!
  ハハハハ ・・」 と、からかっていたが、決して馬鹿にしている訳ではなく、ただ 楽しんでいるだけだった。

 そんな角谷さんが、私が会社を辞める時、真面目な顔をして 「何で辞めるんや?」 と聞いた。  「実は、これこれで・・」
  「ふぅ〜ん・・」 と 何か答えてくれた訳ではないが、ちょっと 悲しそうな表情をしたのが、今でも 印象に残っている。

 角谷さんから見ると、箸にも棒にも かからない様な 私も、一人の人間として 見てくれてもらった様な気がして嬉しかった。










 
  [ 2024/10/8 ]

 

 忙しくて、なかなか更新出来ないけど、角谷さんの続きを、もう少し。
 
 この写真を見て、えぇっ! このサーキット どこ? ・・ と 思いませんか?  どっかの ローカルサーキットかな?
  いや、これは 紛れも無く、鈴鹿サーキットなのだ。 一体 いつの時代? この貧弱なグランドスタンド。 短いピット。

 ピットウォールは、ただの白線だし ・・ 望遠レンズの関係で、極端に遠近感が無くなってるので、こう見えるのかな?
  それにしても、何年頃の 鈴鹿サーキットだろう? ・・ でも、次の写真で、これが結構、新しい事が分かるのだ ・・・




 

 隣にあった、この写真が、上の写真と 同じ年のものかは定かではないが、グランドスタンドを見ても、白線を見ても、同じだろう?
  上の写真には題名は無かったが、この写真には、「'71 JPN GP CB125S 2分51秒 」 と、書かれている。

 えぇっ! これが 71年? 71年は 私が入社・入部した年の前年。 こんなんだったっけ? 何だか全然 違ってた気がするけど?
  これは、セニア・ジュニア 125cc クラスの、スタートシーンだと思うが、 これを見て、どれが角谷さんかが、すぐに分かる。

 手前の、ゼッケン 7 が 角谷さんだ。 何故なら、普通は 押し掛けの時、左側から押して 飛び乗るのが 普通だが、
  角谷さんは、右から乗るのだ。 昔の スタートラインは、横一列で、かなりの台数が並ぶので、隣同士は 結構狭い。

 だから、角谷さんの様に 反対から乗る人が居たら、人と人が当たりそうになる。 それを、「お前ら、邪魔なんだよ!」
  と 怒鳴るらしいのだが、 ・・ いや、それは、あんたでしょう! ・・

 それにしても、この時代 すでに フルフェイスヘルメットが あったんですね! 結構 被ってる人が居ますよね。
  多くが、まだ お椀型ヘルメットだと言うのに ・・ お椀型ヘルメット と、フルフェイス が、混在している 珍しい写真。

 不思議な事に、ジェット型が 殆ど居ない。 その後の時代の 軽量級は、殆どが ジェット型に変わるんだけど?
  私も、ジェットヘルで走っていたけど、この頃は 何と言っても、

 イギリスの Cromwell (クロムウェル) の お椀型ヘルメットに、イタリアの Fospaic (フォスパイク) の ゴーグル ですよね。










 
  [ 2024/10/2 ]

 

 角谷さんの続き ・・・ これぞ、角谷乗り!  多分、これは サインボードを見てると思うが、角谷さんは、このまま横向きで 1コーナーまで行く。

 「お前ら、前見て走ってるから遅いんや! 横向いて走れば、頭がカウルの中に 入るやろ!」  「・・そ、そんなぁ〜 ・・」

 角谷さんは 体重も軽いが、とにかく 前面投影面積が小さい。  ステップ幅も、リヤタイヤと当たる程 狭い。
  それは、スイングアームが フルストロークしても、当たらない程、上に位置しているから。 正座して走っている様だ。

 今は知らないが、昔は ドイツ工業規格 DIN では、カタログに掲載した 最高速は、実測で出ないと 認定が通らなかった。
  JARI の、谷田部テストコースで 確認をするが、実際はギリギリで、例えば 220km/h と唄っていても、218km/h だったりする。

 そんな時は、角谷さんが登場して トライすると、あっさり 220km/h を超えて来る。 体重差もあるが、とにかく前面投影面積が小さいのだ。











 
   [ 2024/9/29 ]

 

 少しの間、横道に逸れて、角谷さんの お話しをしようと思う。  

 角谷さんは、私の高校時代に、多分 CS90で全日本チャンピョンになって、隅谷守男さんと、ヨーロッパに行っている。
  その後、イギリス行った時、UKホンダの ブリックスさんに、その時の写真を見せてもらった。

 鈴鹿レーシングのエースライダーだが、小柄で普段は軽量車に乗っているが、1971年 鈴鹿10時間耐久レースで、CB500で優勝している。

 それが、この写真。 オレンジが大好きな角谷さんは、当時珍しかった、赤と黄色の蛍光塗料のカラーリングに、日本初上陸の
  白の耐熱塗料をマフラーに塗って、当時としては、衝撃的なカラーリングで、レースのデザイン賞も 取った。

 入部したばかりで、何も出来なかった私は、この白の耐熱塗料を塗らされた。 白なので、走る度に汚れて、掃除が大変だった。

 この年は、優勝が 角谷・小崎組、2位も 鈴鹿レーシングの、千田・大橋?組、5位に 鈴木・稲田組と、上位独占し、
  デザイン賞も取って、貰った カップやトロフィーや副賞で、軽トラックが一杯になった。

 当時は 殆ど 黒の皮ツナギ だったのが、鮮やかなオレンジ と白で、白のヘルメット と フロントフェンダーにも、オレンジのライン。
  そして、何故か、そのラインは、センターではなく、右に寄っているののが、トレードマークなのだ。

 何せ、私にとっては 神様なので、とても まともに話す事が出来ず、いつか そのラインが 右に寄っている訳を 聞きたかったが、
  随分前に 他界してしまった。
  









 
  [ 2024/9/26 ]

 

 この アルバムは、殆ど ブルヘルの 先輩達の写真で、これは 相沢さんの車輌。 フロントは ツインパネルのドラムブレーキですね。



 

 これは、当時は多分、狭山レーシングだったと思うけど、飯島さん。 フロントは、ディスクブレーキですね。
  それだけじゃなく、タンク、シート、カウル、全部違いますよね。 皆 思い思いに 自作していた時代。



 

 そして 私にとっては、永遠の神様の 角谷さん。  ちょっと脱線するけど、次回は 角谷さん特集を 少しやろうと思う。

 実は、相沢さん、飯島さん、角谷さんは、皆、元 鈴鹿製作所のオートバイ部、鈴鹿レーシングの先輩達なのだ。
  昔は、本田技術研究所は、2輪も 4輪も 全て、和光研究所 一ヶ所だったが、ホンダランドの遊園地、朝霞テックが閉園した後、

 その跡地に、2輪専用の 朝霞研究所が出来、2輪の研究所の規模拡大の為、各製作所から、多くの優秀な人材が、
  朝霞研究所に転勤になった。 

 更に、4輪工場だった 狭山製作所で、ゴールドウイング GL1000 を製作する事になり、狭山では、2輪を作った事が無いので、
  又又、鈴鹿から 先輩達が移動した。

 更に、当時の ヨーロッパ耐久選手権に参戦する為、Honda Endurance Racing Corporeation  HERCO を立ち上げ、
  そこに又、先輩達が移動したりして、一気に先輩達が 鈴鹿から居なくなってしまったのだ。

 ちょうど その頃、マリが 朝霞研究所のチームの、ブルーヘルメットMSC に入部したので、鈴鹿時代の 私の先輩達が、
  マリにとって、ブルヘルの先輩達になってる訳だ。












 
  [ 2024/9/22 ]

 

 伊藤君も 今は 故人 ・・ 何年前だったかな? ・・
  伊藤君は、最も年齢の近い先輩だったので、マシン整備など、手取り足取り、ずっと丁寧に教えてもらった、と よく言っていた。





 

 何だか、すっかり 溶け込んでる感じがしますね〜。  YAMAHA の作業服 着てるから、ライバルチームの人でしょうね。 
  昔は、こんな ジベタリアン達が、あちこちで、地べたに座ったり、ウンコ座りしたりして、ダベリングしてましたよね。












 
  [ 2024/9/19 ]

   

 前回までは、'76年、18歳の頃のアルバムで、今回は '77年、19歳の頃のアルバムになるが、
  [ '77富士 '77日本GP '77菅生 ] と書かれたアルバムは、薄くて 写真も とても少ない。 

 どうやら、この年は まだ走っては いない様で、先輩に付いて 各サーキットを回っていたのだろう。
  私は行った事が無いのだが、所沢サーキット。

 そして、鈴鹿サーキット。 そうなんですよね、こんな感じの、鈴鹿市の お祭り的な ムードが あったんですよね。











 
   [ 2024/9/13 ]

 

 結構ちゃんと、アルバムを作ってあるのだけど、剥がれたのか? まとめてなかったのか・ バラの写真も結構あって、
  これは、76年辺りに、バラであったので、本田技術研究所の運動会か何かじゃないのかな? 作業服着てるし ・・
   研究所って、女の人でも、ツナギ着たりするのかな?

 何か、怖いですねぇ〜 ・・ 背中に、「問答無用 」 とか、書いてそうだよねぇ〜 ・・
  どうしても、第三者が写っているので、顔を消すべきか? 悩むところだけど、まあ 50年近く前の写真だから、
   皆もう、見る影も無い、と言ったら 怒られるけど、充分 お婆さんになってるから、大丈夫、と言う事にしましょうよ。










 
  [ 2024/9/10 ]


   

 浅間の合宿での、ひとコマの様だが、アメリカン・グラフィティ みたい、と書いてあるけど、マリにとって、高校時代に観た、
  1960年代の アメリカの田舎町の若者を描いた、ジョージ・ルーカスの、アメリカン・グラフィティ は、生涯 最も感動した映画らしい。

 私も観たけど、あまりにも 日本と違い過ぎて、アメリカって凄いですね〜 ・・ って感じで、感動までは行かなかったと思うけど?

 マリにとっては、憧れで 真似してみたかったって感じだろうね。 
  ラジオで 誰かが、船に乗って、知らないオジサンと、タイタニックごっこ、して来ました!って言ってたけど ・・・ふふふ











 
  [ 2024/9/7 ]

 

 ブルヘルで、浅間のテストコースで、合宿してたんですね。  私は行った事が無いけど、ロードの連中も、オフロードの練習をしてた訳だ。
 
 そして ・・・

 

 しかも ・・・

 

 ちゃっかり、ガッツ秀明と、ツーショトで。  こうやって見ると、秀明さんって、足の長さだけじゃなく、背も そんなに大きくないんですね?
   ガッツな走りと、怖そうな顔の せいか、凄い大男のイメージがしてたけど ・・

 ここで 全く関係無い、私事だけど、上に居る メカニックの高橋さんは、1〜2回しか会ってなくて、よく知らないのだけど、
  先輩達から、高橋さんは、機用に物を作って、しかも センスは ぴか一で、優秀なメカニックだ、と よく聞かされていた。

 その後、私が 無限の敷地内にある、スーパースポーツで、モトクロスのメカニックを 1年間やった時、シーズンが終わって、
  社長の博俊さんから、もう1年やらないか? と誘われたのだが、契約金は今年と同じ、という条件に反発して、
  結構です! と、偉そうに断ってしまった。  その時の、社長の 捨て台詞が、

 「君も。高橋君の様に、色々考えて、物を作るのが好きで、将来は僕の様になろうと 思ってるのかも知れないが、
  世の中 そんなに甘くないよ。 僕には強大なバックが付いてるんだから。」 と言われた。

 ・・ ふん! まあ、お説 ごもっともで ございますがね ・・  と思ったけど、
  それより、高橋さんと 同列に 扱われた事の方が、ずっと嬉しかった。


 

 そんな、ケチな博俊さんだが、真っ白いマシンに、真っ白いウエア、しかもパンタロンのパンツで、モトクロスの世界を一変した、
  デザインセンスと、その世界を 俯瞰的に見る目は、やっぱり 別世界の人ですよね。

 次は秀明 抜いちゃうワ!! って書いてあるのは、多分 別の写真に書いてあったのだと思うけど、写真が剥がれて無いんですよね。
  一体、どんな写真だったんだろう?  興味深々 ・・

 








 
  [ 2024/9/4 ]

   

 オフロード なんて 走った事が無い、と 思っていたら、ブルヘルに入って 最初の頃は、オフロード 乗ってたんですね。

 当時、ミニバイクレース と言えば、オフロードしかなかった。  ロードコースのミニバイクサーキットなんて 無かったし、車輌も無い。
  川原や空き地に、テープを張って 即席でコースを作り、大会を開いていた。 今なら 社会問題になるところだが ・・ 古き良き時代?

 だから、誰もが 最初に経験するのが、オフロードミニバイクレースだったのだ。 マリも その一人だった訳だ。
  
 オフロードミニバイクレースの 火付け役が、XE75 だったと思う。 多分 当時は ヤマハのミニトレとかも あったと思うが、
  この XE75 というのは、デザイン的に優れているとは思えないが、その性能は、オンロードから オフロードまで、オールマイティーで、

 普段の下駄代わり にも、ロングツーリングにも大活躍。 私も北海道 半周旅行したが、大型バイクと一緒にツーリング出来た。
  

 

 おぉ〜! ちゃんと走ってるじゃん!  しかも、男の前を?  多分、ツルツルで、真っ直ぐ走るだけで 精一杯だと思う。
  でも、何で フルフェイスなの?  ・・ まあ。それしか無かったんだろうね ・・
 









 
  [ 2024/9/1 ]

 

 XE75 に跨っているのは、マリの お母さんです。 現在は 確か 88歳?  今も、こんな感じで 若いですが、
  やはり、この頃の お母さんは 若いですね〜 ・・

 いつの間にか、バイクが CB50 から、XE75 に変わってますね。  この頃は もう、本田技術研究所の 社内チーム
  ブルーヘルメットMSC に入部してると思います。  そして ミニバイクレース と言うのは、この XE75 での、
  オフロード・ミニバイクレース の事でしょう?  次回の写真で、それが分かります。









 
  [ 2024/8/31 ]

 

 これも 18歳の頃、高校時代の同級生 4人で、江ノ島に ツーリングに行った。 本人も  とっても思い出に残ったのか? よく話していた。


 
 

 赤いジャンパーの後ろに貼ってある ステッカーは、前日に徹夜で作ったらしい。  ・・ 若いですね〜 ・・
  何て書いてあるのか 分からないけど、この日だけの ツーリングチームの名前らしい。 

 皆 ちゃんと ブーツ履いてますね。 しかも 結構 ロングブーツ。 この時代は これが流行りだったのかな?



 

 コラッ! まだ未成年だろう! 気だるい顔して 煙草吸ってんじゃねえよ! 不良!










 
  [ 2024/8/28 ]

 

 かなり画像は悪いけど、練馬の自宅の団地前ですね。 1976年なので、18歳ですか? 何か 横に書いてますが、いつ書いたのかな?


 

  これも 同時期、自宅前で。 恐らく 唯一の スカート姿?  確かに、女みたい ・・男じゃないよね ・・




 
 

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